人は千の風になる?

秋川雅史さんの「千の風になって」という歌は、クラシックというジャンルの枠を越えて大ヒットを記録しました。

秋川雅史さん自身の歌唱力もさることながら、これだけ「千の風になって」が世の中に広まったのは、新井満さんによる歌詞の素晴らしさ(英文を訳したものだそうですが)が大きな要因になったと思います。

著作権上の「引用」基準に基づいて歌詞の一部を掲載させていただきましょう。

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秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る

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これは研究所長がいたく感動した2コーラス目の頭の部分ですが、この歌詞は単に「詩の表現として素晴らしい」というだけでなく、自然界の科学的法則をも表しているように思うのです。

特に、2行目と3行目の部分に注目して下さい。

冬に「きらめく雪」は元素としては水(H2O)で、人間の体を構成する栄養素の中でも最も多いと言われている物質です。

人が亡くなると、土葬にせよ火葬にせよ、最終的には体内の水分は循環して自然に還っていきます。
つまり実際に「きらめく雪」は、我々の先祖の体の一部と考える事ができるわけです。

もちろんこれは、鳥の体にしても同じ事です。
水分だけでなくタンパク質を構成する窒素や炭素は、人間の体を埋めたり焼いたりしても消えるわけではなく、元素として生態系の中に戻っていくだけです。
だから遺体をSFなんかに出てくる「宇宙葬」にでもしない限り、その一部はやがて他の生物の体の一部となっていきます。

さすがに人体を構成していた元素が直接光になったり星になったりはしません。

しかし我々が畑に「降り注いだ」光を見るときは空気や地面、植物などに反射してから目に入っているわけですし、地球上で見える星の瞬きは空気が存在することによって起こるものですから、これらの部分に関しても完全に無関係とは言えないような気がします。

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千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

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生物学的に考えても
「人間を含めて死んでいった生物は常に私たちの身近に存在する」
と考えると「千の風になって」がさらに味わい深いものになるのではないでしょうか。

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